『剣報長崎』第17号(平成17年7月)に「居合道八段受領に想う」と題して一文を草しました。その後、東大剣道部の機関紙である『赤胴』(第51号、平成18年)に投稿を依頼され、重ねて一文を寄稿しました。『剣報長崎』誌上のものは受領直後、『赤胴』のものはほぼ一年近くたってからのもので、似たようなタイトルですが内容はほとんど重なっていません。
居合道教士八段 宮崎賢太郎
剣道教士八段好村先輩との出会い
昨年5月3日京都で行われた居合道八段審査会において、幸いにも合格することができました。『赤胴第48号(平成15)』にフランス在住の好村兼一(昭和46年卒)先輩の剣道八段昇段手記が寄せられていますが、先輩に続いて今度は居合道で八段に昇段することができて大変嬉しく思っています。これでさらに赤門剣友から杖道八段が誕生してくれたらと思わずにはいられません。
好村先輩とは在学中一度も剣を交えたことはありませんでした。たしか私が大学4年生だった昭和49年、フランスから一時帰国され七徳堂にこられた折に、フランスに剣道指導で行かれている話を伺ったのが強く印象に残りました。大学院に進み、日本のキリシタンの歴史を勉強していた私は、スペインかポルトガルかイタリアあたりに行きたくて、全剣連の国際担当理事として海外への剣道普及の任に当たっておられた故笠原利章大先輩にお願いしてみました。するとしばらくしてイタリアから話がきているが行ってみないかといわれ、二つ返事でお願いしました。
イタリアではイタリア剣道普及協会の指導者として、剣道と居合道の指導のために各地を回りました。渡伊最初の年、フランスでヨーロッパ選手権大会があり、好村先輩に再会しました。大学院の休学期間の2年で帰国するつもりが、結局は26歳から31歳までの4年半あまりになってしまいました。今勤務している故郷の長崎純心大学から就職の声がかからなかったら、今頃はまだイタリアをうろうろしていたかもしれません。この間のことは『赤胴第39号(平成6)』に「居合道のすすめ」と題して一文を草したことがあります。46年卒のフランス組の好村先輩が剣道で、49年卒のイタリア組の私が居合道で八段に合格したのは単なる偶然ではないような気がします。
師と仲間の大切さ
八段審査はかなりの難関ですから、合格するためにはいろいろな幸運にも味方してもらわねばなりませんが、一番大切なのは立派な師のもとで正しい基本をしっかり身に付け、目先の勝利などに拘泥し過ぎず、高い目標を掲げて努力を積み重ねることに尽きるのではないでしょうか。そういう意味では在学中は駒場で範士八段安藤謙先生に、本郷では範士九段滝沢光三先生(当時は範士八段)よりしっかりと剣道の基本を御指導頂いたこと、また20歳より始めた居合道においても、範士九段山蔦重吉先生や先に触れたフランスの選手権で知己を得、その後もご指導頂いた範士九段中西康先生に師事することができたことはまことに幸運なことでした。
井手克彦先生とイタリア居合道講習会にて
しかし、直接的に今回の八段受審に際して徹底して薫陶を受けたのは、昨年惜しくも交通事故で急逝された広島の居合道範士八段、杖道教士八段、剣道教士七段の井手克彦先生でした。先生は3度も全日本居合道大会で優勝された実力者で、試合や講習会などの折にその演武を拝見して、勝手に自分の目標にさせていただいていました。しかし、何とか直接にご指導を仰ぎたいと思い、考えついたのが一緒にイタリア居合道講習会に来ていただくことでした。私は昭和56年にイタリアから帰国しましたが、再び平成2年から招かれて毎年夏に1週間の居合道講習会を行うようになっていました。この講習会は昨年で16回目を迎え、1回の中断もなく続いています。平成11年からはあわせて冬季の合宿も行うようになりました。
この合宿に井手先生に来ていただけば、私も受講生として一緒に勉強できると悪知恵を働かせたのです。しかし、お誘いを始めて4、5年くらいは実現しませんでした。やっと平成14年に実現し、3年も続けて一緒に来ていただくことができました。この間に八段としての業前・所作は勿論、戦う気や気位について学ぶことを得ました。この教えなくしては到底合格はおぼつかなかったことでしょう。
しかし、20歳のときに居合道を始め、今年でちょうど35年目になりますが、その間1年も中断することなく稽古を続け、少しずつでも上達していくことができたのは、なんといってもイタリアの剣友たちのおかげです。彼らも私も年に1回の講習会を大切に思い、楽しみにしてきたからです。そして私自身、毎年この講習会に参加するときに、絶対に前の年よりも下手になったといわれないように、いやでも努力せざるを得ませんでした。彼等の厳しい目が私を今日の八段に育ててくれた原動力なのだと思って深く感謝しています。
フランスで好村先輩は最高の指導者として、常に緊張感を持ってお弟子さんたちに接してこられたはずです。少しでも恥ずかしい姿を見せてはいけない、フランスの剣道を立派にしていくためには、お弟子さんたちが誰からも後ろ指を指されることのないように、みずから最良の範たらねばと日々努力精進されてきたと思います。私も単に武術としての技術をイタリア人たちに伝達するだけでなく、常に日本文化としての居合道、日本の芸術としての居合道、「道」というひとつの日本の思想・哲学・宗教としての居合道の精神的な側面を伝達することに気を配ってきました。
先にフランスとイタリアで剣道・居合道を教えた二人が八段に合格したのは偶然ではなかったろうと申し上げましたが、おそらくこの点に深くかかわっているのではないかと思います。日本には大先生がたくさんいらっしゃいますから、何か壁に突き当たれば自分で解決しようとせず、安易に教えてもらおうとする傾向が強いのではないでしょうか。しかし、フランスやイタリアでは私たちは誰にも助けを求めることはできず、常にみずから精進して彼らの範となるべく努力を重ねてきた、そうせざるを得なかったということが、おのずと八段のためのよい修行となったのではないかと今振り返ってみれば思えます。
これからイタリア武道界に伝えたいことー「友情」と「美しい心」
八段となったからといって何かがすぐに変わるというものでもありません。しかし、何も変わらないというのも少し淋しい気もします。やはり八段昇段を期にさらに居合道の(武道の)本質的なものの探究をさらに一段と深めていきたいと考えます。そしてイタリアの剣友たちにももう一段高いレベルの武道の世界を知っていただきたいと思います。
これまで15年間、私が一貫してイタリア居合道講習会で毎年訴えてきたことは、居合道を学ぶことの意義・目的は、稽古を通して互いに「友情(
L’amicizia アミツィツィア)」を深めるためであるということでした。居合道の修行の意味は、人を殺すための技術を学ぶことでは決してなく、むしろ反対に人を生かすことによって、人を大切に思う心を養うことにあるということを説き続けてきました。ですから、一番私が嫌ったことは仲間同士で争い合うこと、分裂することでした。
欧米人に一般的に見られる傾向のようですが、少し上手になるとすぐに自分が先生になり教えたがる傾向が強いようです。ことにイタリア人はその傾向が強く、トップの連中がすぐに分裂し、自分が指導者となっていろんな組織を次から次に作ってきました。10年位前からようやくひとつにまとまってきました。それに伴って武道人口も着実に増えてきました。
また技術面のレベルも着実に向上し、剣道では昨年5月の京都の審査会においてイタリア人初の七段も誕生しました。私がかかわっている連盟だけで、居合道総人口565名、内六段6名、五段12名、剣道総人口1197名、内有段者は419名、七段1名、六段20名、杖道総人口124名、内三段2名といった状況です。私の夢はできるだけ早く居合道七段を作ることです。
昨年5月に八段に合格し、8月に例年のようにイタリア居合道講習に行きました。その講習会では「友情」という言葉の上に、居合道修行の目的として「美しい心(Bel
Cuore ベル クオーレ)」を付け加えました。島田虎之助は「剣は心なり、心正しからずんば、剣また正しからず」といっていますが、正しい心とは美しい心です。さすれば正しい剣とは美しい剣ということになります。そろそろ私たちは単に技術的なことだけではなく、剣道を通して、居合道を通して、美しい心を作り上げていくというようなことも考え始めねばならないと申し上げました。
しかし、「美しい心」とは抽象的なものではなく、目に見える具体的な形で示されねばなりません。理屈ではなく実践されて始めて意味があります。美しい心を具体的に示すのは礼儀・作法です。イタリアへも居合道講習にいらしたことのある兵庫の居合道教士八段福原康晴先生からは「心は形を求め、形は心を表す」というすばらしい言葉を教えていただきました。
美しい形を示すには美しい心を持たねばなりません。また美しい心を持っている人の姿はおのずと美しくなるものです。赤門剣友の皆さんたちもどうかこの言葉をよく味わってみてください。稽古を重ねることも大切ですが、このような言葉の意味を十分に頭に染み込ませることがかえって上達の早道かもしれません。稽古さえしていればいいという言葉をよく耳にしますが、私は疑問です。どのような稽古を、何を目指してやるのかということをはっきりと自覚することが上達の秘訣と思っています。
師弟関係について
具体的にはこれからの講習会では、今までの技の研究に加えて、形としての美しい姿勢・美しい着装、心としての美しい礼儀・作法を強調していきたいと思っています。しかし、そのためには大きなハードルがひとつあります。技だけならば教師(insegnante
インセニャンテ=instructor インストラクター)から学ぶことができます。しかし、心は師匠(maestro
マエストロ=master マスター)からしか学ぶことはできないと思います。これから業前の修練という段階を通り越して本格的な心の修行の段階に入っていくためには、師弟関係の問題が起きてきます。
教師と師匠の違いは何か。それは絶対的に信じてついて行ける人か、そうでないのかと言うことじゃないでしょうか。つまり教える側と教わる側に絶対的信頼関係が成り立っているかどうかということでしょう。その関係は親子の関係にもたとえられるかもしれません。子は親を絶対的に信頼してついてゆき、親はその子のためには自分を犠牲にしてでも最良のものを惜しみなく与えようとする。
ところがイタリアでは、師よりも自分が上手になったら、段位が上になったら師弟関係が逆転する、そこまでは行かなくとも、もはや師ではなくなった、もっと上手な師を新たに探さねばならないと考える者もいる。子はいかに親を乗り超えようと、親を捨てることはありえない。師も容易に弟子に乗り越えられるようなことのないように、決して安住することなく日々精進を重ねるのは勿論だが、いかなることがあれ、武道の世界においては師を変える、捨てるということはありえない。
このような師弟関係のありようをしっかり理解させることが本当の日本の武道の精神・本質を伝えることになる。ただ業の伝達に終始していたのでは、業をすべてマスターされた暁には捨てられてしまうという笑えない事態が起こるかもしれない。これからの目標は、互いに切磋琢磨しながら、真の師弟関係を構築していく中で武道の本質を追求していくことです。「早く七段を作りたいというのが夢だ」というのは、このような師弟関係を作り出したいということです。
東大剣道部の皆さんの中には、自分達が戴いている師がいかに偉大な存在であるのか、与えられている環境がいかに素晴らしいものであるのか、ひょっとしたら十分に認識していない人がいるかもしれません(古くは中山博道、大島治喜太から、最近は範士九段滝沢光三、範士八段小沼宏至、現在範士八段小林英雄)。しかしそれは本当にもったいないことです。師弟関係、先輩・後輩・同輩の関係、こういったものをもっともっと大切にして稽古に励むならば、充実した学生生活、そしてその後の人生の大きな糧となり、4年間七徳堂で汗水を流すことの意味をきっとひとりひとり見つけることができるでしょう。