会員の皆様、あけましておめでとうございます。お元気で新しい年をお迎えのことと存じます。
旧年中は連盟の運営に、一方ならぬご協力ご支援を頂き心から感謝申し上げます。おかげをもちまして、当初の事業計画に基づきまして、これまで整然と運営されておりますことはご同慶の至りです。また各種大会におきます代表選手の方々のご活躍もまことに素晴らしく、会員一同その労を多とするものであります。明けて今年もまた皆様の力をお借りすることが少なくないことと思っておりますので、どうかよろしくお願いいたします。
ところで昨年秋には、小泉政権から安倍政権にかわり、これからどのような国政運営がなされるのか、国民はみな固唾をのんで見ているというのが本音でしょう。新内閣の発足以来、戦争を知らない若い大臣たちの威勢のいい発言が続いていますが、なんとも気になるところであります。あの敗戦の廃墟の中で、「戦争はもうこれで終わりだ」と誓った国民の声を忘れないでほしいと思います。
イラク戦争もまさに泥沼化の様相を呈しています。にっちもさっちもゆかなくなったというのは、まさしくこういうことなのでしょうか。あのベトナム戦争の悪夢がよみがえってくるようであります。小泉政権の時代から政治家の歴史認識ということが問われておりますが、当時小泉首相の靖国参拝がきっかけで、あれもこれも、まさに指導者たるものの歴史認識の甘さ・独善・こじつけが招いた結果ではないでしょうか。
政治の昏迷も悲惨な戦争もすべて人間の心が引き起こすものであり、それを救うのもこれまた人の心であるといわれています。ならば私どもはしっかりと目を見開き、ものごとの是非を正しく判断することができる心を培うことが大切でありましょう。
さてわが剣道連盟の今年の運営方針につきましては昨年6月に開かれました理事会、評議員会で会長に再任されました折、会長所信として発表したものがありますが、年あらたまったいまもその延長線上にあることは申すまでもありません。剣報長崎第23号(平成18年7月号)の記事をご参考として頂ければ有難いと思いすが、要点のみ再掲しますと、県剣連の運営理念といたしましては、開かれた剣連の運営と社会常識が通用する協会の育成ということを掲げております。これは従来から強調してきたところですし、今年もそれに沿ってまいります。また課題としてあげておりますのは、
@ 財政の健全化
A 組織の見直し
B 専門委員会の活動の推進
でありまして、いずれも進行過程にあります。今年は新たに「剣道の社会への還元」ということをテーマのひとつにしたいと思っています。それは「生涯剣道の追及」であったり、「剣道を通じて青少年の人間教育」ということになりましょうか。これらはいずれも剣道の本質を踏まえた上で実践しなければなりません。
それこそ現代に生きる剣道家の歴史認識が問われるところです。そのような社会還元や貢献ができてこそ剣道は日本の伝統文化と胸を張って言えるのではないでしょうか。各地域、協会で活躍しておられる指導者の皆様に期待するところが大きいと考えております。すでに総務委員会で了承いただいているところですので、検討かつ実践してまいりたいと思います。
この1年、会員の皆様方の更なるご活躍と県剣連ともどものご発展を心からお祈りして新年のご挨拶といたします。
去る10月3日、生涯スポーツ功労賞として文部科学大臣表彰を受けました。大変光栄に思いますとともに、この賞は私個人が頂戴したものではなく、長崎県の剣道界を代表して頂いたものと感銘を深くしたところでした。
改めて会員の皆様方はじめ、これまで終始ご指導ご支援を頂いて来た関係の皆様方に厚く感謝申し上げる次第であります。またこれを機に初心に戻り、あらためて生涯剣道の普及・発展に一層の努力を捧げることを固く誓ったことでした。
かねて県剣道連盟主催の剣道大会のプログラムには「剣道の理念」と「持田盛二先生の遺訓」を掲げてあることは御承知のことと存知ます。剣道の理念は、全剣連が剣道のあり方および目的について剣道理念委員会なるものを結成し検討したものを、昭和50年3月の全剣連理事会において決定したものであります。ごらんの通り、剣道理念の章と指導理念の章からなっておりますが、剣道を志すものにとりましては憲法にも等しいものであり、日常坐臥心得るべき内容が述べられてあります。
一方、持田盛二先生(明治18−昭和49)は、昭和の剣聖とあがめられた方でありまして、昭和4年の展覧試合に指定選手として出場され、見事優勝されました。その優勝戦は昭和の名勝負としていまなお語り継がれております。この遺訓は先生の永い生涯にわたる剣道修行の足跡を述べられたものでありますが、まさしく「生涯剣道」のお手本とも鏡とも申すべきものでありましょう。
上述の剣道理念委員会の委員のお一人、小川忠太郎先生は「剣と禅」と題する講話の中で、「持田先生は30歳以降は稽古相手には上がなかった。それにもかかわらずあそこまでゆかれたのは、打たれたところを反省して非知の稽古をされたから、84歳まで停滞することなく進歩されたのである。」と、のべられておられます。
非知の稽古とは、相手から打たれたところは自分の非を打たれたのであり、非を教えてもらったのである。感謝し反省して二度と同じ非を打たれぬように工夫することが大切である、と小川先生は述べておられます。私どもはこのような大先輩の方々の御言葉に襟を正して耳を傾けましょう。そして先生方の境地にせめて一歩でも近づくことができるように日々精進を重ねてまいりたいと考えております。
以上受賞にあたりましての御挨拶といたします。有難うございました。