「少年剣士の君達に伝えたいこと」
         長崎市剣道協会会長 三原 茂

 去る(平成!8)321日(祝)、長崎市において長崎ライオンズクラブ旗争奪第20回少年剣道大会が開催されました。開会挨拶の中で、最近感銘を受けたことで、是非、君達に伝えたいことがあるとしてお話したことを、「剣報長崎」の編集者から原稿としてまとめておくようにと求められました。以下その大要です。

「……先日大分県佐伯市と言うところに行って参りました。私の旧い友人広瀬信道先生が、このほど全日本剣道連盟から剣道有功賞を授与されましたので、その祝賀会に参加したものです。その機会に見聞したことで、大変感動したことがありますので、是非君達に伝えておきたいと考えながら帰ってきました。

 はじめに、広瀬先生のことについて少し御紹介しておきます。先生は剣道道場「直心館」の館長であり、大分県剣道連盟の副会長をつとめておられます。昭和46年に剣道7段、昭和49年には剣道教士を授与されております。先生と私は旧制佐伯中学校(現在佐伯鶴城高校の前身・当時は男子校で5年制)の同期生であります。昭和13(1938)に入学以来5年間共に学び、また剣道部員として稽古に励みました。昭和17(1942)夏、念願かなって県代表として一緒に全国大会に出場することが出来ました。しかし、当時は太平洋戦争のさなかであり、その年を最後として、剣道大会はもとよりすべてのスポーツ大会は開催されなくなりました。

 生徒達も勤労奉仕作業に動員される機会が多くなり、国を挙げて戦争へと傾いてゆきました。先が見えず日本中が息苦しくなるような時代でした。広瀬先生は山口高校(旧制)から岡山医科大学に、私は第一高等学校(旧制)から長崎医科大学へと進学し、終戦をはさんで数年間の青春時代を過ごし、それぞれ学業を終え医師となりました。申し合わせたことでもないのに2人共整形外科を専攻することになりましたが、これも不思議な御縁と思っております。

 昭和20(1945)敗戦と同時に連合軍の命令で剣道は禁止され、剣道愛好家は大変無念な想いを致しました。それから10年近くの歳月が流れ、ようやく剣道は復活しましたが、私共は肝心な20代はもちろん、かなりの年配になるまで竹刀を握る機会にめぐまれませんでした。広瀬先生は昭和38年(1963年)家業を継いで開業され,昭和42年(1967年)自宅に直心館道場を設立されました。来年は40周年を迎えるそうですが,これまでに数多くの剣士達が先生の道場を巣立って行かれました、そしてお互いに80歳になった今,故郷で久しぶりに再会を果たすことができたわけです。

 祝賀会には大分県剣道連盟の方々はじめ、直心館道場のOBの面々,親の会の方々,それに私共中学の同期生など、優に100名を超す人達が集まりました。先生のお人柄や実績を反映してまことに素晴らしい会でありました。私共の年代は,進学によって徴兵を延期された者を除き、徴用や軍隊に召集された経験を持っています。内地残ったものも戦地におもむいた者も皆戦争の悲惨さを体験しております。同期生100名のうち,すでに60名近くが戦死を含め死亡しておりました。一緒に全国大会に行った5名のうち2名は死亡,1人は病気治療中と言う有様でした。

 集まった仲間達は口々に「戦争は絶対にいけない」「戦争は人の心が起こすものだ」「子や孫の時代は、世界中平和であってほしい」とみんな真剣に語り合いました。戦後60年を経つと、戦争に負けて日本中が廃墟になったあの時の悲しみや苦しみを忘れかけているのではないかと心配する声も聞かれました。若い君達は是非このような声をしっかりと心に受けとめて、戦争をおこすような愚かなことはやらないでほしいと心から思ったことでした。私共の年代からのメッセージです。これが伝えたいことの1つです。

 会が終わって直心館を訪ねてみました.道場訓がすぐ眼に入りました。そしてその異色なことに感動しました。是非君達にお伝えしたいと思います。

一少年部の誓一

1.はきものをそろえる

1.姿勢を正しくする

1.返事をはっきりする

1.間違いは必ずなおす

1.自分にはきびしく友達にはやさしくする

どこかで聞いたことがあるような道場訓てすね。そうです、君達が日頃からお家でお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃん、あるいは近くの小父さんや小母さんから,時に厳しく時に優しく教わっている事柄なのです。昔から学んで来た躾(しつけ)なのです。どこにも剣道のことにふれていません。人の基本となることばかりです。これには驚くと共に心をゆすられました。別に稽古心得というものがあります。

一稽古心得一

1.礼無き者立合無用のこと

1.小手先の技を弄せず剣心共に正大なること

1.勝は勝にあらず負は負にあらず修行に勝負なきこと

 言葉は少しむずかしいかも知れませんが、これとていつも道場で先生や先輩の方々から剣道修行の心構えとして厳しく教わっているところですね。中学生の諸君なら十分に読めて理解されるところです。私は直心館道場の魅力と発展の秘密を知ったように思いました。広瀬先生は少年剣士の皆さんが立派な人間となることを基本において、正しい剣道に励むことを念頭におき40年問黙々とやって来たということです。私は誰でも実行できるこの道場訓を是非君達に伝えたくて今日のご挨拶の中で紹介致しました。

 今日は大勢の御父兄の方々も見えておられますので、お家でも是非話題にして下さい。…・』

 以上が要旨でありますが、折角の機会ですので、この道場訓について当の広瀬信道先生が「道場訓に寄す」

(平成1511月記)と題した一文がありますので、ここに再録して御参考にしたいと思います。

 

30年前に掲げていたものを今も唱和しつづけている。剣術は敵に勝つ技を練ったが、敵かは我が心の中にいた。剣道は己に克つ道を心に求めた。敵に勝つには「身を捨ててこそ一」己に克には「心を無にしてこそ一」と先達は訓えている。人の一生も、剣の道で、いかに生きるかが問題であった。生活なくして人生はなく、稽古なくして剣道なし。

 生活の基本は、日常の立居振舞に、稽古の命は、剣を把る心構えにある。道場に剣を学んだ子どもたちが、それぞれ自分の人生を生き抜いてくれることを祈ってやまない。

 畏友(いゆう)広瀬信道先生の剣道哲学に圧倒されるばかりである。一層の御健勝と御活躍を祈って筆を擱きます。